変わらないのに、季節は巡る

いつものように、なにもない休日。洗濯、読書、音楽を聴いて、録画した番組を見る。変わりばえのない一日。変わったことといえば、日中に外のベンチで本を読む時にベンチの半分が日陰になっていたこと。私の日常は代わり映えがしなくても、季節は巡る。

私の心の、不感症なこととは関係なく、冬は春に、そして夏が過ぎ、秋がやってくる。また冬になるんだろう。足元の落ち葉を拾い上げ、見上げると、まだ青々と葉は茂っている。けれど、この木も寒々とした裸木になるのだと思うと、頼もしくもあり、また寂しくもなる。


結構は逃れられない寂しさに、私はどうやって折り合いをつけていこうか。この先、人を愛することができるのだろうか、狂おしく、愛おしく、人に愛着を持つことができるのだろうか。人から「まま」と呼ばれる程の関係を築けるだろうか。

そんな栓なきことを思い一日を過ごす。



今日も星は見えない。晴れてるはずなのに。

貴女の故郷で一人見上げた、目に眩ゆいばかりの星々を思い、自分がいま何故ここで一人煙草を弄んでいるのか憎らしくなる。


女々しい泣き言を、今日も私は繰り返す。嗚呼、貴女よ、◯◯ちゃん! なんで貴女は隣に居ないのか。家で待つ写真の貴女は、愛おしくもあり、憎らしくもある。


嘘よ、憎らしいなんてあるもんか。