日常に沈む

今日は少し仕事で外回りをした。人と話し、人々とすれ違い、私も人々になった。こうして日常に埋もれてしまっていいのだろうか。


月命日の16日が近づいてくる。しかし、月を重ねるごとに涙の数は減ってくる。もちろん悲しみは依然として大きいものの、涙まで激する悲しみの波はおさまってきた。これは自分にとっていいことなのだろうか。生活を、これからの人生を歩む上では悪いことではないのだろうが、どうにも自身を納得させることはできない。

悲しみが小さくなったとは言わない、貴女の存在が小さくなったなんて尚更言わないけれど、貴女に対して申し訳ない気持ちになってしまう。この考えが健康的でないだろうな、とは思う。


店に入れば、貴女の好きそうなものについ目がいってしまう。その一瞬間は、確実に私の心の中で貴女は生きている。次の瞬間にあわてて目を伏せる。貴女の存在が、また不在に引き戻される。こういうことにはまだ慣れない。何度も再確認される貴女の不在。


街や電車の中で、ディズニーリゾートの買物袋を持っている人がいると、無意識にその方向に視線を向けたままになってしまう。持って立っているのが、貴女であっても良かったはずなのに。



◯◯ちゃん、自分の居らへん生活に、また一日分、慣れてしもうたで! なんちゅうこっちゃ、たまらへん気持ちになってまうで、なぁ!

2人の7年の生活は、どこに逝ってもうたんや。なぁ、なぁて。呼んでんのに、◯◯ちゃん!て名前呼んでんのに、なんでなんも言うてくれへんの。そない遠くに逝ってもうたんかい? 手も届かへん、声も届かへん、ほな何なら届くん? なぁ、頭の悪い俺やから、教えてくれへんか? この身で逝かな、もう届かへんのかい?


ほんの7ヶ月前には目の前に居て、手を伸ばせば触れられて、呼びかければ答えてくれた貴女やのに。もう、怒声すら聞こえへん。


これから、貴女と過ごした以上の時間を、貴女の不在の中で過ごさなければいけないことを考えると、顔の皺がひとつ、またひとつと増えてしまう。