言葉の排泄行為

人は環境で作られるという。かの有名な囚人実験の結果である。被験者を囚人と看守に分かち、本物の監獄さながらの場所に置くと、看守は各人の本来の性格を逸脱し乱暴で高慢、本物以上の看守になり、同じく被験者である囚人役をいじめ抜いてしまったという。

これが今の学問的にどう位置付けされているのか知らない。けれど、人の性格や人格が変わるは環境で作られる、これはその通りだと思う。


だとすると私の、貴女の居ないこの環境は、私をどう形作っていくのだろうか。興味はない、ただ恐ろしい。

生きる目標、意義、そして宝を失った。

生理的に死んでない、それだけのことで生きていかねばならない。身がすくむ。

今日がきたから今日を生き、明日を迎えたら明日を過ごす。意思のない生活。それでも明日は来るものと、身勝手にも思っている。


仲睦まじい恋人を見ても、仲の良い家族とすれ違っても何も思わない。けれど、ちいさな子どもを目の前にすると、途端に遣り切れなくなる。私の友人であり、私の恋人、そして何よりも可愛い可愛い娘であった貴女。貴女が望まないのであれば、恋人という権利も捨てよう。ただ、貴女が望んだ「まま」であることは、私の身の朽ちるまで大事にその座を守ることにしようと思う。


愛に飢えた貴女、無償の、そして無限の愛情を乞うた貴女。一生を通じて与えるべく私の中で育まれた貴女への愛情が、いま行き場を失って嘆いている。

これから何十回となく貴女の誕生を祝福するために日々蓄えられた気持ちが、祝うべき者の不在を悲しみ空へと昇る。



貴女が居なくなってしまったことで、私は無巧の詩人に成り下がる。居てくれるならば、生活者として過ごせたのだろうか。

私の尊敬して止まない人が、詩を生きようとしたように、いつかは私もそうなりたいと思っていたが。今の私は、詩にもならない言葉の羅列を粉飾し、自らの慰めとする。


誰の心にも、自分の心にも感動を与えない言葉は詩ですらなく。

拙い言葉の羅列。まるで私の人生のよう。


今の私の環境が、私をこのように形作ったのだろうか。

今日はもう、お風呂に入って寝ようと思う。