月命日の夜に

今日という日を他と変わらず過ごす。人によっては早過ぎるというかも知れないし、ようやくか と言うかも知れない。結局は自分の中の物差しで測るしかないわけだけれど。特別な日、という考えをするなら、毎日が特別な日だった。去年の今頃も、一緒にお風呂に入り、一緒にテレビを見て、一緒に寝る、貴女と供に送った大切な日だった。もちろん昨日も、明日も。


貴女との7年間は、どこを取り出しても貴女と過ごした大切な1日であって、今の私にとって特別でない日はない。そんな中で今日だけを特別としてしまうことへの罪悪感。貴女の居なくなった日を拠点とした、貴女の不在記念日。1年の他の364日は、貴女と過ごした、其々特別な記念日であるべきはずなのに。


住めば都と言うように、結局人は今いる環境を受け入れ、それが最上でないまでも、満足するしかない。到底満足なんてできるはずの状況でないけれど、これしか仕様がない といった感覚の中で今を過ごすしかないのだ。諦めが肝心とはよく言ったもの。夢は諦めなければ叶うなんて言葉もあるけれど、貴女の不在の中で、貴女の 在 を望んでも叶うはずもなく。たった一つだけの望みだけれど、どれだけ祈っても、努力しても、叶うことがない。


私は今日を生きた。昨日も生きた。何もなければ、明日も生きるのだろう。明日にも、今日を生きたと思い、その積み重ねが何日、何年、何十年続くのかわからないけれど、多分続くのだろう。貴女の存在に靄がかかり、遠い日々の想い出になってしまっても、確かに在った日々として私だけは貴女のことを想うのだろう。


やがて認知症にでもなって、貴女のことを想わない日が来るとしたら、貴女の存在を誰が保証してくれるのだろう。貴女の居た証を、貴女が私と過ごした証を、私が保証できなくなったとしたら。怖い話だな、と思う。


貴女との思い出を、貴女という存在を、せめて私の肉体のなくなるその日まで保証していきたいと願う。


風邪と、薬と酒と。朦朧とした頭だけれど、必至に、一所懸命、貴女の存在に対して真摯に向き合って居たいと考える。


よくわからないけれど、今日も、明日も多分、考える。考えていきたいと、考える。