問う

私は不幸なのか、そう問うてみる。

幸福ではない。それは間違いない。で、不幸なのか。ここを間違ってはいけない。不幸なのは貴女に死なれた私ではない、死ぬことを選ばざるを得なかった貴女なのだ。私なんぞが不幸だとすれば、私以上に不幸な貴女の境遇がさらに深く不幸に堕とされる。私なんかが不幸であってはいけないのだ。

幸せではない。しかし、不幸でもないのだ。きっとそうなのだ。


正しいのかどうかわからない。

貴女にとってこの世界は生きづらく、結果この方が幸せだったのかもしれない。そんなたわ言を、貴女の知り合いに同調して私が言ってはいけない。彼/彼女らがそう思うのは自由だし、彼らにとってはそれが正解なんだろう。だけれど、それを私の正解にしてはいけない。この世界を生きやすく出来なかったのが、他ならぬ私自身なのだから。そして、自分で死を選ぶことが幸せなんかであってはいけないのだ。絶対に。


貴女に何を尋ねても、もう何も答えてはくれないし、貴女の正解に辿り着くことはこの先無いのかもしれない。けれど、私はそれを考えなければならない。四六時中考えるのは無理でも、考えることを諦めても、辞めてしまってもいけない。生きている限りは、考えようとしなければならない。

貴女の最期の姿を見たのはこの世の中で私一人だけ。無意味で空虚な優越感に浸りながらでも、その姿を決して忘れてはいけない。これは私の義務なのだ。貴女から私に課せられた、最後の義務なのだ。語り部になる必要はない。貴女の優しい心を、愛に溢れた心を、今度は私が持てば良いのだ。そして人に優しく、私の眼に映る限りの全世界に向けて愛を示さなくてはならない。


答えなんてない。

だから考え続ける。

私は幸せではない。

しかし、決して不幸であってはいけない。