どうして正月を迎えるのか

新年を迎えたわけだけど、やっぱり目を覚ましても一人。

録画してた映画を観たり、昨日買ったお弁当を食べたり、本を読んだり、音楽を聴いたり。なんら普段の休みと変わりのない一日を過ごす。正月感はない。


新年の抱負だとか、貴女がいないのに何を思えばいいんだろう。毎年、貴女との生活の中で、より良くするために自分の目標を定めていた。貴女の幸福を想い、それを叶えるための自分の至らなさを埋める目標を立てる。今年は何を想い、何を埋めれば良いのだろう。


貴女の居なくなるあと一月と十六日。

去年の正月を過ごした私にはそれだけの時間しか残されて居なかったのに、そんなことも知らず好き勝手貴女に言っていた。自分勝手に貴女を悲しませました。その大切さを自覚せず貴女との笑いあった。失われることを知らず貴女を抱きしめた。


去年の今日は、貴女と散歩に出掛けた。普段行ったことのない少し家から離れたステーキ屋で優勝を食べた。

去年の明後日には、2人で初詣に行った。神様は私の願いを聞いてはくれなかった。貴女が健康で一年を過ごせるよう祈ったのに。貴女は一年を過ごすことができなかった。貴女はおみくじをしたいと言っていたが、くじは昨日で終わりましたと巫女さんに言われた。帰り道、自転車に乗る貴女の後ろ姿が今も眼に浮かぶ。後ろから駆け足で追いかけていた私。もう、私は貴女に追いつけない。どれだけ走っても、どこまで走っても、貴女には辿り着かない。


貴女に通じていない道を、何故私は歩こうと思うのだろう。

貴女の居ない場所に、私は何故行こうとするのだろう。

貴女を見ることのない私の目は今日も何かを見る。

貴女の声を聞くことができない私の耳は今も音を拾い集める。

貴女の耳に届けることができない私の声を、どうして未だに発する必要があるのか。

貴女に触れられない私の指は、今後どんな存在意義があるのだろう。


貴女が居ない私は、何故また明日を生きるのだろう。


明日を迎えることを、どうしてこんなに疑問に感じながらも生きていかなければいけないのだろうか。死ぬのは怖い。ごめんなさい、死ぬのは不安なんです。生きていたくはないのに、死ぬことはできないんです。どうしても、明日を迎えてしまうんです。



お風呂に入る前、体重を計る。既に、貴女が知っている私より20キロほど痩せた私だけれど、また数キロ痩せていた。それでも力を抜くと少しはぽっくりお腹が出ているけれど。このままどんどん痩せて、存在が消えてしまえばいいのに。貴女の好きだった、ボンと突き出たお腹はなくなった。

けれど、貴女の好んだお尻の肉の柔らかさはそのままです。肉は薄くなったけど、柔らかいまま。好きに掴みにおいでよ。嫌がらないから。好きに触りに、早くきておくれよ。